館生作文


練習はうそをつかない/臼倉 暖乃(2013年作品)

 

 6年生の私の夢は助産師になることです。助産師になるためには看護師にならなくてはいけないので、もちろん勉強しなくてはいけません。 でもそれ以上に、精神的に強くならなくてはいけないと思いました。

 助産師になりたいとお母さんに言ったら「命が産まれることは良いことばかりではないよ。産まれてくる命ばかりでなく、それをゆるされない赤ちゃんもいるんだよ。とても辛い仕事なんだよ。大丈夫?」と聞かれました。それでも新しい命をとりあげて、未来につなげたいと思ったから、私は助産師になりたいと思っています。

 

 私は2年生の9月に剣道をはじめました。同級生は私より早く習っていたので、とにかく上手になりたくて練習のある日は休まずに行き、先生方に言われた事は出来るだけ頭に入れて、真面目に道場に通いました。

 そのかいあって5年生になって何とかレギュラーになることができました。それでも周りは男の子ばかりだったのでレギュラーの座をとられないように毎回稽古に行き、練習をしていました。練習をするたびに小薬先生は「練習はうそをつかない。」と言うので、その言葉を信じて練習してきました。でもしばらくして、試合に勝てないことが続いていました。

 とうとうある大会で、ひとつ下の学年の男の子にレギュラーの座をとられてしまいました。その日は、朝一番の試合で、私はいつもの様にメンバーに入っていたのですが、一試合目も二試合目も勝てなくて、とくに三試合目ではいい試合ができなかったので、四試合目でその男の子と交代をさせられてしまったのです。それからは、私はなんとなくやる気がなくなってしまった様で、自分ではいつも通りやっているつもりでも、お父さんから、

「いつもの剣道をやっていないよね。」と言われてしまいました。次の稽古の時にもお母さんから、「やる気がなくなったの?」とか、「剣道楽しくなくなった?」と聞かれました。

 私は自分の気持ちがバレルのが嫌で、「剣道は楽しいよ。」と言っておきました。

でもお母さんには私の心の中が分かっていたのか、次の稽古があった帰り道に「練習はうそをつく?」と聞いてきました。その言葉を聞いて私は本当のことを見抜かれた様に思い、目から涙があふれてきました。

『小薬先生が練習はうそをつかないって言ってたのに、そんなのうそだよ。頑張っても頑張っても勝てない。レギュラーをとられて悔しい。負けたくない。でも勝てない。』と自分の言いたいことを思いつくままに言っていました。

 小薬先生にも剣道ノートで相談したら、『自分を信じろ。こわがるな。ハルは努力しているから大丈夫!!』と書いてくれました。

 それからも勝てない日が続きましたが、小薬先生が書いてくれた通り、毎日努力して自分を信じて稽古を続けていたら少しずつ勝てるようになってきました。

 6年生になってから川口市の代表選手にもなれました。今では小薬先生が言っていた『練習はうそをつかない。』は信じることができます。

 この『練習はうそをつかない。』という言葉は、『努力はうそをつかない。』という言葉にも言い換えることができます。

 『努力』とは6年生の私にとっては勉強と同じ意味をもっています。勉強はすごく大変ですぐに成果がでるものではないし、楽しいとは思えないものです。苦しくて嫌でやりたくないと思う時もあります。

 でもいつか、助産師になった時にレギュラーをとられてしまったけれども、剣道を頑張ったかいがあったなぁと思える様になりたいです。精神的にこらえなければならない時があるからです。

 助産師はお母さんが言った様に助からない命もあるけれど、私が心から願って助けようと思えば助けられる命が沢山あると信じるからです。努力して無駄なことは何もないんだと信じているからです。

 今、私は『練習はうそをつかない。』の言葉を信じて、剣道も勉強も心も、いろいろな事全てを含めて、今の自分が出来ることを全力でやって未来の助産師になっている自分に向かって頑張りたいです。

 先生の言った『練習はうそをつかない。』を信じて。

 


あたりまえのこと・/髙橋璃多(2012年作品)

 

「おはよう」このあたり前のように思える言葉が今、消えつつあります。

私はある時、ふと気づきました。自分の口から流れるようにあいさつがでているのを。

朝起きたら「おはよう」、ご飯を食べるときは「いただきます」、別れるときは「さようなら」と。今の私がそれを「あたりまえ」のようにできる、それは剣道を通して得たものと思っています。

 私は幼稚園のころから剣道をはじめ、今年で早十年目となります。剣道はもちろん基本・技をみがき強くなる、これはとても大事なことです。でも私は「礼儀」という意味でも自分を磨いてくれるスポーツだと思います。

礼にはじまり礼に終わる、剣道はそういうスポーツです。他のどんなスポーツよりも、相手と向き合い、そして自分と向き合える、そんなスポーツだと思います。

 私の道場では、入る時に礼をし、帰る時も礼をします。そのような、もう習慣化されたものが小さいころから当然のこととして体に叩き込まれた私にとって、礼はいつしか日常的なものとして理解していたのかもしれません。…それが本来あるべき姿なのではないでしょうか。

 

 現在の日本社会の傾向を見てみると愕然とします。あいさつが出来ない、しない人が増えてきているのです。なぜ昔できたことが出来なくなってしまってきているのでしょうか?私は同じ町の人・近所の人に挨拶ができない人が増えてきているという記事を読みました。人と関わろうとしないのだそうです。私はそこからコミュニケーションの少なさが原因の一つなのではと思いました。この問題は、とても深刻なものです。

 「あいさつ」は、時に人を幸せにし、時に自分と向きあう機会をくれたりします。そんなものが、今陰りつつある。とても悲しいことだと思います。悲しい時、何気ない「おはよう!」で気持ちが晴れることがあります。「あいさつ」の素晴らしい所です。たった一言で、目の前が変わりはじめるのですから。

 昔はできていたのに今、できないはずありません。あたり前のこと、それこそが一番大事なのではないでしょうか。あたり前のことをあたり前にできる、それこそ大事にされるべきだと思います。

 私は剣道を習っていなかったらどうなっていたか分かりませんが、習っていて良かったなとふと思うことがあります。ある面接時、先生に礼儀がなっているねと言っていただいた時は、心からそう思いました。剣道に感謝です。

 

現代、あいさつができる人が減ってきているこの世の中で、何気ないあいさつができる、それはとても素敵なことだと思います。それはとてもあたり前のことかもしれませんが、それを自然に自ら出来る、そのようになってこそ世界が広がり、相手と向き合うことができるのではないでしょうか。こんな世の中だからこそ「あたり前のこと」を大事にしていきたいと私は考えます。

 


僕の夢/甲斐陽大(2012年作品)

 

ここ数年、就職事情が厳しいこの時代に僕は、将来について考える日があります。

小学生高学年の時、将来の夢を設計する授業を受けてから、僕自身を見つめる様になりました。

思えば、けんかばかりする自分を変える為に、今の剣道場の門をくぐり七年この七年間、それは僕に取って、とても、とても厳しい稽古でした。

 はちまき組と言う見習いの時期は、先生方も優しく、剣道が楽しいと言う思いも、いつの日か防具を付けてから、厳しい稽古に変わって行き、何度も何度も同じ注意を受けて涙した時もありました。時には、道場を休みたくて、母を困らせた日もありました。

 でも、母は聞く耳持たず、引きずってでも道場へ連れて行く人でしたので、道場でも稽古中つらくなってつい、母に助け心を持っても、すぐにばれてしまい、それはもう大変な稽古の時間でした。

 だけど、良い事もたくさんありました。色々な大会に出場し、良い結果が出るとまた、頑張ろうという思いで、ますます剣道が大好きになりました。

 どんなにつらい稽古でも、終わった後のすがすがしさは、やった人にしかわからないでしょう。

 そして、僕が通う道場は、門の入り口に人生道場と書いてあります。ただ剣道が強くなるのでは無く、あいさつから始まり、礼法・周りへの気配りも剣道を通して、身に付いて行きます。だから、中学生になった今、毎日の部活でも頑張る力はあります。

 そして、小学生の頃、社会人の剣道試合に興味を持つ様になって、何度かテレビで見た全日本剣道選手権大会ここに出場されている選手の多くが警察官でした。

 僕は、この頃から警察官へのあこがれと、将来の夢の希望へと何か糸のような物が見えて、心の中で高ぶるものを感じました。

 それからは、将来に向けて中学校に進学する時、常に頭の中は剣道ひとすじでたとえ、つらい思いをしても、耐える事の出来る人間になりたい、と言う思いから学区外の学校を選びました。

 実際は、僕のクラスには誰一人と知り合いが居なくて、不安でしたが部活が始まるとそこには、小学生時代の大会で知り合った地域の仲間達が何人も居てとても心強く、たくさんの先輩方にも声をかけてもらいました。剣道をやっていて、人間性にも恵まれる事に感謝しなければいけないと、強く思いました。

 今はまだ、中学生ですが小学生と違って親を頼らず、責任感ある行動が出来なければ将来への道も、行き止まりになりそうです。

 僕は何となく剣道をやっている訳ではありません。

 幼い頃のけんかがもとで始めた、僕の剣道場「人生道場」で教え鍛えてもらい、いつの間にか、けんかもしなくなりつらい事にも耐え、後輩や周りへの気配り、人前での話等、色々なものを身に付けることが出来ました。

 この道場四誠館を通して、剣道の厳しさも、楽しさも手に取る様に分かります。

 そして、高校でも剣道を続けてあこがれの警察官になり、いつの日か全日本剣道選手権大会にも出場出来る日の夢を追い続け、自分自身を鍛えられたらすごく嬉しいです。


自分を信じて、仲間を信じて/秋山貴寛(2011年作品)

 

平成23311日金曜日東北地方太平洋沖地震があり、関東地方は震度5の地震がありました。ぼくたちは家族とはなれ学校にいました。地震でゆれてあんなに恐い思いをしたのは、生まれてはじめての事でした。ちょうどその日は、ぼくたちの道場の稽古日でした。電話があり、今日の地震で道場の屋根瓦、照明、灯篭などが落ちたり倒れたりしたため、稽古をする事ができないと連絡がありました。

 余震がずっと続いて恐かったので、稽古がなくなって良かったなと思ってしまったけれど、大きな大会をひかえていたので、いつまで稽古ができないんだろう?と心配になってしまいました。

 だけど道場の中は照明がひとつ落ちただけで沢山ある賞状やトロフィーは無事で、すぐに稽古が再開できると言われて安心しました。でも自分達と戦うかもしれない東北地方の人達も、今年の全国大会に向けての稽古をしていたはすなのに、自分達だけ稽古をやっていて本当にいいのかと少し考えてしまいました。

 でも、ぼくたちはとても幸せです。このような大変な時でも稽古ができる場所があって仲間がみんな集まれることができて、本当に幸せだと感じました。

 そして今年の夏もいつもと同じように全国大会が行われる事になりました。ぼくたちは埼玉県予選を第3位という結果で全国大会に出場することができました。会場でプログラムをもらった時に、いつもと比べると少ないけど東北地方のチームの人たちも何チームかは出場していたので、大丈夫だったんだなぁと思いました。

 でも、ここに来れている東北地方のみんなはきっと大変な思いをして来ているんだ。

一緒に来られなかった仲間達の分まできっと全力で戦っているんだろうなぁ。

ぼくたちもこの大会に出たくても出られなかった人たちの分まで、力っぱい試合に臨むぞと強く心に誓いました。

 ぼくたちの全国大会、試合結果は1回戦目は青森県のチームと対戦し、2-1で勝利しましたが、残念ながら次の2回戦で負けてしまいました。去年の先輩達よりも勝ち進むぞと思っていたのに、先輩達の記録を越えることができませんでした。小学生として最後の全国大会だったのでとても悔しかったです。でもこの1回戦の勝利は、ただの勝利ではありません。日頃の稽古をはじめ、全国大会に向けて毎日毎日稽古をしてきたチームの仲間と、指導してくださる先生、先輩方、またいつもどんなときでも一緒に応援してくれている父兄のみなさん、そしてぼくの家族みんなで力を合わせて勝ち取った勝利です。

 ぼくは監督が教えてくれた「自分を信じて、仲間を信じて」この言葉をいつも思いながら、色々な大会に出場してきました。

低学年の時は、ただ1試合、1試合とにかく大きな声を出して勝てばいいと、それだけしか思っていませんでした。でも高学年になったら、それだけではいけない。チームで勝つためにはどうすればいいのか、少しずつ考えるようになりました。6年生になってからは、どうすれば今までの先輩達のように試合で勝って活躍したり、日頃の稽古でも後輩達を引っ張っていけるんだろう。どうやってみんなに声をかけたらいいか、気持ちを伝えたらいいか悩んでしまうことばかりです。

 そんな時に監督から教えてもらった「信」じるという言葉を思い出すようにしています。

自分一人だけで試合をしているんじゃないんだ、みんながついているから大丈夫、そんな思いで試合に臨めるようになりました。チームのみんなも同じ気持ちになって、数々の試合で苦しい場面も沢山ありましたが、最後まであきらめない気持ち、信じる気持ちで戦うことが勝利につながるということを実感することができました。

 これからもこの気持ちを忘れないように、また稽古を一緒に頑張っている後輩達にも、

「自分を信じて、仲間を信じて」という気持ちをしっかり伝えて引き継いでくれたらいいなと思います。